ダムに沈む街

 

北海道地図今から35年前,人口2万人を超える町が,北海道の山間にありました。夕張岳の麓の自然にあふれる町でした。平成9年・夏現在の人口はおよそ300人。そして1998年以降人は立ち退き,地図の上から消えようとしています。私が生まれて育ったその町の名は,夕張市鹿島。そこに住んだ人たちは愛着を込めてその地のことを『大夕張(おおゆうばり)』と呼びます。巨大ダム建設により沈みゆく故郷の過去と現状について,写真と個人的な思い出を中心に載せてあります。私の母校で,創立70年目の今年,閉校になる夕張市立鹿島小学校の閉校式の様子や,大夕張の思い出や話題を語れる掲示板もあります。
 大夕張をめぐる動きは1997年に入って急な動きをみせました。4月28日(月)。夜10時から『地図から消える町』というNHKの番組が放送され,その中で,97年中には住民の方々のほとんどが立ち退く予定だと報じられました。
 6月22日には,母校鹿島小学校の閉校式が行われ,全国から1000名近くの卒業生が集まりました。昭和47年の三菱大夕張炭鉱閉山以来,最初で最後の盛大な会になりました。その二週間後の7月6日には,地元鹿島の解散式が静かに行われました。11月には美鉄バスの大夕張からの撤退,年が明けても,新聞・テレビなどのマスコミなどにより, 『かつて炭坑で栄えたダムに沈む街』 として,多く取り上げられています。
 大夕張が湖底に沈むという話を私が耳にしてから6年。いよいよ『その時』がやってき雪の大夕張たという思いでいっぱいです。

 大夕張には昭和35年,2万人をこえる人口がありました。その時代,その土地で過ごした私の心の中には,多くの人々の生活があり,活気あるまちの姿しかありません。

 私が子供時代を過ごした昭和30年代〜昭和40年代の頃の思い出を中心に載せてあります。しかし,悲しいことに子供の頃の思い出はよく覚えていることもある半面,ふだんは記憶の底に深く沈んでいて,なかなか表に出てきません。それがちょっとしたきっかけで思い出したり,確かなものになったりします。なにぶん子どもの頃の記憶であるため,記憶違いや思い違いも数多くあると思います。気がついたことや正確な情報など教えていただけると,ありがたいです。

 また,みなさんの思い出やエピソードも聞きながら,かつてにぎやかだったあのふるさとの町の自然や人々の生活の記憶をより確かで豊かなものにしていきたいと思います。大夕張掲示板にぜひ多くの方の投稿をお願いします。

 みなさんからの思い出をホームページの方へ掲載させて行きたいと思います。よろしくお願いします。

 




(01/9/15より)