夢見地区金田屋食堂

                夕 輝  文 敏

                 作者紹介 :昭和47年まで大夕張に暮らす。


ナナカマド

  病院の帰り道、何気なく空を見上げると、ナナカマドの赤い実が目に入ってきた。
 「この真冬の2月に、まだ実がついているなんて...」
  今年の冬は雪が多く、何度も吹雪にも襲われている。なのに、ナナカマドの梢には、赤い実がしっかりとついていた。秋に色づいた実が、寒さに朽ちることもなく風雪にも耐え、2月の寒空に輝いている。この小さな実のどこに、そんな力が秘められているのだろうか。
  私は、驚きの目でナナカマドの赤い実を見ていた。
  この街路は、私の通勤経路で毎日通り過ぎていた。だが、いつも時間に追われ足早に通り過ぎ、四季の移ろいに目をくれることもなかった。
  私は、ナナカマドの赤い実を見ながら、そのことにも気づかずにいた自分の日常に落胆していた。
 「こんなことにも気づかず、自分は毎日何をしていたのだろう...」
  私はそう自分に問いかけながら、ナナカマドの木の前に佇んでいた。
  前の会社を辞め、函館から札幌へ来て3年が過ぎようとしていた。
  夕張の炭坑育ちの私も、朝夕の雑踏の中地下鉄に揺られ、いつのまにか足早に歩く都会の風景の一部になっていた。毎朝寝不足の目で雑踏の光景を眺め、ネオンの下を疲れた足取りで家路につく。何かが欠けているような気がしていた。
  時折そんな気持ちが沸き起こってくるが、それも日々の生活の中に埋もれてしまい、それ以上深く考えることもなかった。
  だが、今日は風邪で仕事を休み、時間の拘束から開放され、ナナカマドの赤い実を見た瞬間、私はその答えを探しはじめた。
  私は、最近読んだ本や、音楽のことを考えてみた。以前は、沢山本を読みCDも多く聞いて心を震わせていたが、近頃は、その機会さえなくなっていた。
 「いつから、こうなってしまったのだろう」
  夕張にいた頃は、受験勉強を抜け出しても貪るように本を読み、レコードを聞いていた。
あの頃の自分と、今の自分はどこが違うのだろうか。
  私は、そんなことを考えているうちに、急に夕張へ帰りたくなってきた。夕張にはもう10年以上帰っていなかった。もっとも帰るとはいっても、そこにはもう親兄弟も友人も住んでいなかった。
  夕張市夢見地区、そこが私の故郷である。

バス停

  私は、熱っぽい体で夕鉄バスに乗っていた。12年前と同じように大通り公園のバス停から、夢見行きのバスに乗った。閉山により便数は減ったものの、夢見地区への直行便は1便が残っていた。
  この十数年、大通り公園に来ると、バス停の前に佇んでいた。そして、時刻表を見ていた。ここは、私にとって故郷に一番近い場所であった。
  バスは、札幌市内を抜けた後、雪深い山間の道路を走り、夕張へと向っていた。18才のときに夕張を出て以来、その年の正月に一度帰ったきり、夢見の冬とは会っていなかった。
  途中バスは、空家ばかりが目立つ集落をいくつも通り過ぎて行った。ズリ山だけは朽ちることもなく、それらの廃墟を見守っているかのようにそびえ立っていた。30以上もあった夕張の炭坑も、今では全てがその灯を消していた。
  札幌から乗りこんだ客の大方は、夕張本町で降りてしまった。
 夕張の本町を過ぎ夢見地区へバスが進むにつれ、今は住む人もなく、雪に包まれた白一色の世界が広がりはじめた。白い結晶たちが作り上げた御伽噺のような世界を、バスは泳ぐように粉雪を舞い上げ走って行く。かつての繁栄をしめすズリ山も、廃屋となった建物も深い雪に埋もれ、悲しみも、寂しさも全て白い世界に包まれていた。
  昭和のはじめ、東北三県を中心に内地で根を張ることができなかった人々が集まり、この地に夢を託しいつしか「夢見地区」と呼ばれるようになっていた。
  終点「夢見地区」で降りる客は、私を含め3人であった。外の2人は、老人達であった。
  老人達は、終点で降りる私をめずらしそうに見て、歩き去って行った。
  私は、バスが去った後もバス停に佇んでいた。18のとき、私はこのバス停から夢見地区を抜け出した。生まれたときからこの小さな炭坑町で18年間暮らしてきて、外の世界はほとんど知らずにいた。思春期の頃には、この町がとても窮屈に思えていた。だから、漠然とはしていたが、18になったらこの町を出ようと決めていた。
  あの日、札幌行きのバスに乗る私を、友人たちが見送ってくれた。このバス停から、少年期に別れを告げた、私のもうひとつの人生がはじまった。この町を抜け出しさえすれば、道が開けるような気がしていた。18のとき、私は何かを振り切るような気持ちで、ここからバスに乗り込んだ。

柱の傷

  バス停から小学校の裏山に目を移すと、黄色い旗が風に吹かれ揺れていた。そこには、かつて炭坑の神社が祭られていた。町を一望することができ、「神社」と呼ばれ誰からも親しまれていた場所であった。
 黄色い旗たちは、消えゆく町の運命に逆らうかのように、激しく揺れていた。
 私は歩きはじめた。頬に突き刺すシバレが懐かしい。歩く度に靴の底で雪が「キュッ、キュッ」と音をたてる。札幌にいても、こんな感触で雪を感じることはなかった。
 表通りは除雪されているものの、中に入るとほとんどの街路は、雪に埋もれていた。
 炭坑の最盛期には2万人もいた町も、今は廃屋ばかりになり、雪に埋もれていた。それらは、本当は、とても淋しい風景なのに、白一色の世界に包まれていると、何故か、恨み、辛さといった情感が浄化されてしまい、全てが穏やかに見えてくる。
 時間の流れが沢山の熱いものたちの熱を、奪い去ったのかもしれない。
 私は、昔住んでいた炭住をめざし歩いた。もう解体されて、建物はないかもしれないが、ここに帰ってくると体が自然に引寄せられてしまう。
 雪が降り出してきた。私は、空に向い振り注ぐ雪を見た。一つ一つの結晶が、花びらのように、地上に舞い降りてくる。
「そうだ、あのときも、こうして雪を見ていた」
 私は、高校の音楽教室を思い出していた。音楽教室の窓は大きく、遠くには夕張岳を見ることができる。3年生のとき、私はやはりこうして雪を見ていた。
結晶たちは、直線的に落ちることはなく、風を受けながらたくみに空中を舞っていた。子供の頃から見慣れた雪なのに、とても結晶たちが新鮮に思えていた。
「夢見地区の雪を見るのも、久しぶりだなあ...」
 やがて、昔住んでいた住宅が見えてきた。だが、そこに続く道は雪に埋もれていた。私は、雪の中を掻き分け歩き出した。思いのほか雪が深く、前に進むのに時間がかかる。
 途中で背中に視線を感じ振り向くと、まだ人が住んでいる住宅の窓越しから私を見ている人たちがいた。たぶん、彼らにすればいくら私の故郷でも、よそ者にしか見えないのだろう。
いつのまにか、自分がよそ者になってしまう。こんなことは、今まで考えたこともなかった。
ましてや、18のときバス停に立っていた私には、想像さえ出来なかったことだ。
 私は、やっと家の前にたどり着いた。玄関の前にも雪が積もっていた。ノブを回すと、鍵はかかっていなかった。周りを見渡すと、隣の玄関の横に錆びついたスッコップが立てかけてあった。私は、そのスコップを取ると雪を撥ね退けはじめた。その間も視線を感じていた。
「気にするな。俺の家なんだから...」
 やっと玄関を開けることができた。中に入ると、ガラスの壊れた窓からは雪が吹き込み、台所の辺りで吹き溜まりになっていた。
 父が襖を張り替え、母も毎日床を磨きいつもきれいにしていた家だったが、今は廃屋になっていた。これが、12年後の現実の姿とは。あまりの変わりように私は愕然としていた。
 私は気持ちが落ち着くと、柱の前に歩み出した。
「あった。この傷、俺たちの背の丈だ」
 父は、毎年5月5日の端午の節句には、私と弟を柱に立たせ、背丈のところを小刀で印をつけていた。
 私は、その傷を手でさすっていた。この柱には私たち家族の歴史が刻み込まれていた。
 私は思わず、柱を抱きしめた。そして、過ぎ去った日々を思い出していた。
 冬になると、隙間風が入り込み、いつもフジキの石炭ストーブを囲みながら暮らしていた。
朝になると、母が石炭ストーブに火をつけ、やかんのお湯が沸くと父は凍った水道管に熱湯をかけていた。そして、水道管から水が出ると、弟と一緒に拍手をして喜んでいた。
 今から考えると、とても耐えられるような生活でなかったが、まだ日々の生活の煩わしさも知らずにいて、何処かのどかささえあった。
 今は沢山の便利な日常を手に入れ、冬の寒さに震えることもなくなったが、いつも時間に追われ疲れている自分がいる。
「あの頃に比べ、今の自分は幸せなのだろうか...」
 たぶん、今の自分はあまり幸せでないのだろう。だから、柱の傷に触れた瞬間涙が出てきたのだろう。ここで暮らした18年間の生活は豊かではなかったが、まだ人生の汚れを知らずにいることができた。
  今の自分は、何か大切なものを見失っている。私は、柱の傷をさすりながらそう感じていた。

学生服のボタン

 私は再び雪山を掻き分けると、小学校、友人の家、スキー場など、思いでの場所へ向い歩き出した。あれほど軒を連ねてあった炭坑住宅も、ほとんどが解体されてしましい、駅前にわずかに残っているだけであった。
 バスを降りたときは、まだ曇り空であったが、雪が強く降り出してきた。私は、コートのフードをかぶりながら歩いた。途中小学生数人とすれ違っただけで、後は人を見かけることもなかった。
 40分ほどの間に見たいところは全て歩いてしまった。ここに住んでいた頃は、町はもっと大きく思えていたが、こうして歩いてみると、あまりにも小さく感じられた。
「夢見地区が、縮んでしまった」 私はそう呟いた。
 もう一度私はバス停へ歩き出した。雪は激しく降り出してきた。
 商店街の辺りに出ると、門間商店の看板が見えてきた。子供の頃、お祭りとか正月には父に連れられて来て、弟と一緒にプラモデルなどを買ってもらった店であった。ここに来ると、文房具からカメラ、スキーまで揃っていた。夢見地区の子供たちにとって、門間商店は、何かわくわくさせるものがあった。
 私は、店の前まで走り出した。そして、店の中を覗いてみると、おじさんはストーブの前に座って何やら書込んでいた。
 私は、入り口の前で雪を払い店の中に入った。
「こんにちは」
「あ、いっらしゃい」
 おじさんは、めがね越しに私を見ると立ちあがった。
「あんた、夢見に住んでいた人かい」おじさんがそう尋ねてきた。
「そうです。もう12年前になるけど」
「そしたら、東高の卒業生かい」
「はい、第8期生です」
「そりゃ、良かった。この間店の中整理していたら、東高の学生服のボタンいっぱい出てきたもんだから。このボタンやるから、あんたの東高時代の友達にも分けてやってもらえるかい」
 おじさんは私にボタンの入った袋を手渡してくれた。
 門間商店は、ダムの関係で今春には店をたたむそうだ。それで店の中を整理しているのだけれど、懐かしい物が出てくる度につい思い出に浸り、あまりはかどらないと言っていた。
このボタンも卒業生に渡すまではと思い、いつも机の上においていたそうだ。
「おじさん、ありがとう。確かに預からせてもらうから」
「ああ、これでやっとひとつ整理できた。良かった、良かった」
 おじさんは、本当にほっとした顔でそう言った。
「ところで、おじさん、神社とこの黄色い旗、あれなんですか」
 私がそう尋ねると
「あれは、ここに帰ってきた子供達が、ダムに沈んでも残るようにって、いつの間にかやりだしたんだ。あれ、高倉健の映画で夕張が出てくる(幸福の黄色いハンカチ)ってあったしょ、あれにあやかっているんだべさ」
とおじさんは、話してくれた。
「そうかい。幸福の黄色いハンカチね。俺もこの次来たら、何か書いて神社につるそうかな」
「そうだ、つるせばいい。なんもかんもなくなっても、あそこはダムに沈まないから」
 私は、おじさんの口から「ダム」の言葉を聞いて、間もなく夢見地区がなくなるという現実を感じていた。
「あんた、今日車で来たのかい」
「いいえ、バスだよ」
「だったら、帰りの便まで時間あるから、金田屋食堂に寄ったらいっしょ。あそこのラーメン昔のままだから」
 金田屋食堂、懐かしい響きだ。夢見地区に一軒だけある食堂で、秀夫の家でもあった。
「おじさん、万年筆あるかい」
 私は、門間商店の思い出に万年筆を買おうと思った。
「万年筆はもうないな。あるのは、ボールペンとシャープペンシルだけだ」
 おじさんは棚の奥を探し出した。
 古い灯油ストーブが、ファンの軋む音を立てながら燃えていた。店の中を見渡すと、商品も少なくなり陳列ケースも姿を消していた。
 昔は、もっと広い空間に思えていたが、意外なほど小さく見えてきた。あのわくわくさせてくれた空間が、今は色褪せて見える。店の中には、閉山後の時間の流れが漂っていた。
「これが門間商店での最後の買物になる」
 私はそんな思いで、かつての活気に満ちていた頃の店を思い浮かべ、おじさんの後姿を見ていた。
「あった、あった、このペンシルなら大丈夫だ」
 おじさんは、箱に入った3本のペンシルを出してくれた。
 私は、その中から1本を選び
「おじさんこれにするよ、幾ら」
と尋ねた。
「どうせ在庫整理しているから、定価3,000円だけど1,000円でいいよ」
と言っておまけに芯もつけてくれた。
「おじさん、ありがとう。これ大事に使うから」
 お金を払い終わると
「あんたも、元気でな。そして、東高の仲間にもよろしく言ってくれや」
 おじさんは、昔と同じ口調で言った。
「預かったボタン、必ずおじさんの気持ちと一緒に、みんなに渡すから」
 店の外に出ると、先ほどより雪が激しく降っていた。
 私は、金田屋食堂を目指し歩き出した。肩の上には、雪が音をたてて積もっていた。雪も結晶が大きくなると、地上に落ちるとき音を出すことがある。「雪の音」を聞くのも久し振りだ。こんな、街の日常の現実から隔離されたような世界で、私は生まれ育った。
 かつて、炭坑の最盛期には活気のあった商店街も、ほとんどがシャッターを降ろしていた。

再 会

 降りしきる雪の中、金田屋食堂ののれんが風に吹かれて揺れているのが見えてきた。
 私は、コートに積もった雪を払いのけると、金田屋食堂の扉を開けた。
「いらっしゃいませ...」
 おばさんの元気な声が私を迎えてくれた。
「おばさん、しばらくです」
「あら、隆君でしょう。いやあ、懐かしいね。今どこにいるの」
「札幌にいます。今門間商店に行ったら、金田屋食堂まだやっているって言うから、おばさんのラーメン食べたくなって」
「そうかい、嬉しいね。夢見に帰ってくる子供たちは、みんなここに寄ってくれるんだ。」
 私が椅子に座ると、おばさんは冷蔵庫からビールを1本取り出し、私の前に置いた。
「これおばさんのおごりだから、ラーメンできるまで飲んで待っていて。隆君、今いくつ になったの」
「今年で31になります。もう、31だなんて、早いよね」
「そうかい、もう31にもなるんだ」
 おばさんは、厨房へ行って、ラーメンを作りはじめた。
 私は、秀夫のことを思っていた。たぶん、おばさんも、私の年齢を聞いたときから、秀夫のことを考えていたのだと思う。
 金田秀夫と私は同級生であった。小学校6年と中学3年生のときは、同じクラスになったこともあった。中学に入ってからは、何度か互いの家に遊びに行ったこともあった。
 秀夫は優しい子で、物事にひたむきであった。誰からも愛されていた秀夫は、15才のとき病気で死んでしまった。
 中学の修学旅行の途中で体調を悪くし倒れ、祭りの朝に亡くなってしまった。
 私は、秀夫の死を受け入れることができなかった。死とは炭坑事故とか、老人だけに関わる大人の世界の出来事だと思っていた。子供が死ぬなんて、まして、こんな身近な形で、死を知るなんて考えたこともなかった。
 秀夫のことでいつも思い浮かぶのは、中学のマラソン大会のことだった。秀夫と私は一緒に走っていたが、私は途中で苦しくなり歩き出した。すると秀夫は「途中で棄権するのは卑怯だ」と言い残し、彼自身は華奢な体で完走した。
 最後まで完走した秀夫は15で亡くなり、途中で歩き出した私は、いつのまにか秀夫の2倍もの人生を過ごしてきた。この現実を、どう受け止めたら良いのだろうか。久し振りに秀夫の「言葉」を思い出しながら、私は、考えていた。
 おばさんも、私が店に入ってきたときから、秀夫のことを重ねて思っていたのだと思う。
「はい、お待ちどうさん。ラーメンできたよ」
 おばさんは昔ながらの笑顔で、テーブルにどんぶりを置いてくれた。
「いただきます」
 私は、音を立てながらラーメンを食べはじめた。
「ああ、うまい。懐かしいなあ、この味...」
 私は、最後のビールを飲み干した。そして、18のときに夢見地区を出てからのその後についておばさんと話していた。私は、両親は函館で健在であること、私はまだ独身だが、弟は結婚していて、福岡で仕事をしていることなどを話した。そして休暇が取れたので、急に夢見に会いたくなり、バスに乗ったことなども話した。
 おばさんのところは、閉山の年におじさんが亡くなり、その後も近所の店が次々と辞めていく中、何とか今まで続けてきたことなど話してくれた。でも、最近は江別にと嫁いだ娘の和枝さんが、しきりに店をたたんで一緒に暮らそうと言っているそうだ。
 話し終わると、おばさんは、店の戸を開けた。雪と一緒に風が飛び込んできた。
「こりゃ凄い吹雪になってきたわ。札幌行きのバス大丈夫かね」
 おばさんは、戻ってくると夕鉄バスの夢見営業所へ電話をかけてくれた。
「隆君、3時のバスこのままだと今日は無理かもしれないと。もし、だめだったら、ここに電話来るから」
 おばさんは、2本目のビールをテーブルの上に置いてくれた。
「おばさんも一緒に飲まないかい」
 私は、コップを取りに厨房へ入った。どんぶりの場所も、コップの位置も、全部昔のままであった。秀夫のところに遊びに来ると、おばさんは子供たちにラーメンをご馳走してくれた。そんな折、一度でいいから厨房の中を見たいと思い、秀夫に頼んで見せてもらったことがあった。あれから15年以上たつのに、何も変わっていなかった。
「腹立つね。折角、夢見に帰ってきたのに、吹雪なんて」
 おばさんは、本当に気の毒そうに言った。
「おばさん、でもね、今とっても懐かしい気持ちになっているんだ。夢見の吹雪見るなんて、久し振りだし、そして、この金田屋食堂も昔のままだし...」
「そうかい、ここ出て行くと、吹雪まで懐かしくなるのかい」
 おばさんはそう言うと、声をたてて笑った。わたしも、一緒に笑い出した。そして、おばさんは夢見地区を訪ねて来た同級生たちの話をしてくれた。

吹雪の夜

 しばらくすると、電話が鳴った。夕鉄バスからだった。
「バスだめだって、隆君。今日はおばさんとこに泊まってけばいっしょ。秀夫の部屋が空いているから」
「秀夫の部屋が空いている...」 この言葉に私の胸は高鳴った。
 12年前の3月、夢見を出て行く前の日の夜、私は金田屋食堂の扉を開けていた。おばさんに、秀夫の好きだったクリームケーキを仏壇に供えてほしいと渡していた。おばさんは、家にあがり線香をあげていけばと言ってくれたが、これから友達のところへ行かなければならないと嘘をついて、帰ってきたことがあった。
 私は秀夫が亡くなってから、一度も線香をあげたことがなかった。秀夫の死を認めたくないという少年期のこだわりが、そうさせていたのだと思う。
 いつもひたむきで、マラソンも一生懸命完走した秀夫が15で死んでしまう。それも、誰もが楽しみにしている、祭りの日に死を迎えてしまう。そんな非情な現実を受け入れることができなかった。
 私は、ふと何か運命的なものを感じていた。病院の帰りにナナカマドの赤い実と出会ったこと。思い立ち夢見行きのバスに乗ったこと。そして、吹雪と出くわし今晩秀夫の部屋に泊まることになったこと。
 全てが、何かに引寄せられているような気持ちになっていた。そして気づくと、熱も下がり風邪のけだるさも消えていた。
 その夜、私はおばさんとテーブルを挟んで座っていた。食堂の真中では、石炭ストーブが真っ赤に燃えていた。ストーブの上では、大きなやかんが白い湯気を上げながら 「シュー、シュー」 と音を立てていた。
 この空間だけは、時間が止まっていた。何もかもが昔のままであった。玄関からは、隙間風が入り込む。外は、まだ吹雪いていた。
 おばさんの手料理を食べ、少し酒を飲んで、私は酔いを感じていた。
 おばさんも一緒に酒を飲んでいた。
「この吹雪じゃ、今夜は誰も来ないか」
「えっ、この時間にもお客さん来るの」
「そうだよ。暗くなると一人暮しの年寄りたちがやって来て、酒飲んで歌っていくのさ。
おばさんも、一人だしね」
 おばさんは、旦那さんが亡くなってからも一人で「金田屋食堂」を続けていた。
「おばさん一人でずっとここ守ってきたもんなあ。俺たちもここがあるからまだ帰って来るところがあるんだよなあ。本当、ありがたいよ」
「そう言ってもらえるなんて嬉しいね。でも、そんなたいしたことじゃないんだよ。ただ、夢見が好きなだけなんだよ。ここで楽しいこといっぱいあったから。本当は、ここで骨埋めたかったんだけど...」
「おばさん、ダムの話あるけど、この店どうするんだい」
「春になって、雪溶けたら取壊すよ。去年の秋に補償契約に印押したし。それに、国のすることには従うしかないからね...」
 戦後の日本経済の復興期を夢見地区の「石炭」も支えてきた。そして、時代が変わると石油エネルギーに押され、閉山になってしまった。今度は、ダムの底に沈んでしまう。閉山後も夢見地区を守ってきた人たちが、ここを出て行くことになった。
 おばさんも、ついに「金田屋食堂」の看板を降ろすことになってしまった。
 「でもね、これで良かった気もするんだよ。この土地にも、店にも思い出が沢山ありすぎて、おばさんこのままだと踏ん切りつけれなかったから。近頃は、雪跳ねもつらくなってきてね。もしここで寝込むようなことになれば、娘にも迷惑かけるし。だから、今が潮時なんだ、おばさんそう考えることにしたんだ...」
 おばさんは、そう言うと私のコップに酒を注いでくれた。私は、一口飲むとコップをテーブルに置いた。
「金田屋食堂もなくなると、俺たち本当にもう帰る場所がなくなってしまうんだな...」
「夢見に帰ってくる子供達は、みんなここに寄ってくれるからね。夢見で生まれ育った子供たちが、何かあると、ふらりとここに帰ってくる。親兄弟もいないし、育った家だって壊されて何にもないのに帰ってくる。そして、ここでラーメン食べて、おばさんと昔話して、また街へ戻って行く」
 今まで故郷としての夢見地区のことを考えたことはなかった。こうして帰ってくると町は小さくなって寂れているのだけど、それでも町全体が包み込んでくれて、心が軽くなるのを感じていた。昔住んでいる頃は気づかなかったが、ここで生まれた子供たちは、夢見地区の自然にも大人たちにも、ずっと見守られていたのかもしれない。
「だけどおばさん、俺たち18になったらこの町を出て行くのが憧れみたいな時期があったんだ」
 そうだ、高校生の頃は、この小さな炭坑町が息苦しくて、外の世界に出ることばかり考えていた。この町には、もう何も求めるものはないと思っていた。だから、脱出するような気持ちで、18のとき夢見地区を出ていった。そして、その翌年、炭坑は閉山し、町は急激に衰退していった。
「それが若さだ。おばさんは山形の貧乏農家の出だけど、あんたらが外に希望を持ったように、おばさんも、あんたたちの親も、この夕張の山奥の夢見地区に希望をつないだんだ。秀夫だって生きていたら、きっと隆君と同じ気持ちで、ここを出ていったはずだよ。
故郷なんてそんなもんだ。それでいいんだよ...」
 おばさんの口から、秀夫の名が出た。私はこの瞬間を待っていたのかもしれない。
「おばさん、俺思うだけど、秀夫が生きていたら、可愛い嫁さんもらって、おばさんのことも大切にして、きっとみんなのことを幸せにしていたと思う。俺、秀夫の2倍も生きてきたけど、俺の30年はあんまり周りを幸せにしてこなかったな。だから、秀夫と俺逆だったら良かったのになんて思ったりして...」
「何馬鹿なこと言ってるんだよ、さあお飲み」
 おばさんは、また私のコップに酒を注いでくれた。
「隆君はこうして夢見に帰ってきて、一人暮しのおばさんのところに寄ってくれて、おばさんの話し相手になってくれた。もし秀夫が生きていたって、意地の悪い嫁もらって尻にひかれ、おばさんとこになんか顔も出さないかもしれない。だから、隆君の人生だって、あんたの知らないとこで、幸せ沢山蒔いてきてるんだよ。あんたは、昔のままの秀夫の友達の隆君だ。おばさんにはこうして話しているだけで分かる。だから、元気出して生きなくちゃ」
 私は、おばさんの話を聞いているうちに、涙が出そうになってきた。本当は、自分のために人を傷つけ、嘘も沢山もついて生きてきたのに。なににおばさんは私のことを受け入れてくれた。
「おばさん、ありがとう。俺、夢見に帰ってきて良かった。おばさんにも、会えて良かった。ありがとう...」
「おばさんもうれしいよ。いまだに秀夫の同級生たちがこうして来てくれて、ラーメン食べて、話してくれて」
 私は、心が満たされ幸せな気持ちになっていた。札幌に来てからこの3年間、いつも心に鎧をつけたまま暮らしていた。職場で酒を飲んでもあたり障りのない話ばかりいていた。
もうこれ以上転職はできない。どこにも自分の逃げ場はない。そんな緊張した日々を送っていた。だから、無防備に自分をさらけ出し、こんなにも心が満たされたことはなかった。
 しばらくすると、入り口の戸が開き、「いやいや、ひどい吹雪だったな。やっと小降りなってきた」と門間商店のおじさんが店に入ってきた。
「こんばんは。先ほどは、ありがとうございました」と私は、椅子から立ち上がり挨拶をした。
「いや、あんた昼間のお客さんでないの。バスだめだったんだ」
「門間さん、この人秀夫の同級生なんだよ。秀夫も生きていたら、今年で31だ。この吹雪だから、こっちから頼んで今晩ここに泊まってもらうことにしたんだよ」
「そうかい、秀夫ちゃんの同級生かい。秀夫ちゃん、生きていりゃこんなに大きくなっていたんだ。早いもんだ。ところで、あんた、嫁さんいるな」
「いえ、まだなんだけど...」
 私は、そう答えながら、佳奈美のことを考えていた。
 佳奈美とつきあってから3年が過ぎ、彼女も今年で29才になろうとしていた。
 クリスマスイヴの夜「私たち、これからどうするの...」と佳奈美がぽつりと言った。
 私は、佳奈美が何を言おうとしているのかわかっていたが、何も答えなかった。そんな男のずるさを、佳奈美は見抜いていたのかもしれない。あれ以来、私たちは会っていなかった。
 おじさんは、ストーブの前で暖まると、私の横に座り焼酎を注文した。
「こんな吹雪の夜は一人で飯食ってもうまくないし、ここに来れば、誰かいると思って...」
 金田屋食堂は、いつしか夢見地区に残った人たちの集いの場になっていた。人恋しくなると、夜毎、夢見の住人たちが集まってくる。
「金田屋さん、さっきこの人シャープペンシル買ってくれて...。店たたむから品物整理してるんだけど、色んなこと思い出して、さっぱりはかどらねえ。でもさあ、ここの名前にもまいっちゃうな。閉山でこんなに寂れて、今度はダムに沈じまうのに、未だに夕張市夢見地区だもんな。とうに夢もなんも破れッちまったのに、本当まいっちゃうよ」
 おばさんは、おじさんのコップに焼酎を注いだ。おじさんは注がれた焼酎をぐいと半分程飲んだ。
「ああ、うまい。ここの焼酎もラーメンも春になったらお別れだ。金田屋さんは、江別の和江ちゃんとこに行くんだべさ。俺も、仕方がないから、岩見沢の京子とこさ行くべさ」
 私は、空になったおじさんのコップに焼酎を注がさせてもらった。
「おじさん、さっきの夢見地区の名前だけど、俺は今でもここは夢見地区でいいと思うんだけど」
 すると、おばさんが厨房の向こうから言った。
「うれしいこと言ってくれるね。門間さん、閉山とかダムのことがあってから少しひにくれてしまってね」
「したって、閉山で客は減るし、今度はダムの底だもんなあ。まったく何もいいことないし、夢見どころじゃないべさ」
 私は、続けて言った。
「でも、ここは俺たちの生まれ育った故郷なんだよ。街の生活でつらいことあったて、ここに戻ってくると、また元気になれる。夢見には、まだそんな力があるんだよ。俺、今でも良く覚えている。毎年祭りになると、門間商店露天出して、ヨーヨーすくいとか、くじやっていたよね。なんにも当らなかった子供には、おじさん必ずおまけくれていたっけ。
そして家族みんなで金田屋食堂でラーメン食べて。俺たちここで育った子供は、夢見には楽しい思いでいっぱいあるんだ。だから、ここはいつまでも夢見地区でいいんだと思っている」
 おじさんは、しばらくコップを見つめていた。そして、ぽつりと言った。
「お祭り、沢山の子供たち来てくれたな。三菱の職員の子供も、坑夫の子供も、みんな親からもらった10円玉大事に手に持って...」
 おばさんは、厨房から出てくるとおじさんのテーブルにラーメンを置いた。
「お祭りの日は忙しくて、秀夫も和枝もみんなして、店手伝ってくれた...」
 テレビゲームもパソコンもない時代、子供にとっても大人にとっても夢見地区の炭山祭りは、とても楽しみな行事であった。
 その後、私は金田屋食堂のおばさんと門間商店のおじさんと3人で、夜が更けるまで、活気のあった頃の夢見地区の思い出話に花を咲かせ、笑ったり、涙を流したりしていた。

 

 その夜、私は秀夫の夢を見た。
 秀夫と私は、真夏の陽射しを浴び、シュ−パロ湖のほとりを走っていた。私は、秀夫はとうに死んでいることを知っている上で、話しかけた。
「秀夫、この間おまえの部屋に勝手に泊めてもらって、悪かったな」
 秀夫はにっこり笑うと
「なんも、隆こそ母さんに優しくしてくれてありがとう」と言ってくれた。
 私は、秀夫と一緒に走っているのがとても嬉しかった。言葉は交わさないのに、互いの気持ちが通じ合っているのが感じ取れた。
 だが、しばらくすると秀夫は苦しみだした。
「秀夫、大丈夫か」私がそう言うと
「隆、俺はもう走れない。だけど、おまえは走れ。今度こそ完走するんだ。いいか、もう棄権するなよ」と秀夫は言った。
 私は「わかった。必ず完走するから」と言って走りつづけた。
 後ろを振りかえると、秀夫の姿はもう何処にもなかった。
 目が覚めても、秀夫の声が耳の中に残っていた。
 秀夫の言葉は、私の心にたちこめていた、もやもやした得体の知れないものたちを消し去ってくれた。そして、それらが消え去った後、私の脳裏には佳奈美のことが浮かんできた。

出 発

 外で物音がした。「おばさんが、雪掻きしている」
 私は、急いで着替えると外に出た。今朝はシバレが強い。
「おばさん、おはようございます。泊めてもらったお礼に、雪掻きやらせてください」
「そうかい、それじゃ隆君にお願いしようか。おばさん朝ご飯つくるけど何がいい」
 おばさんの口からは、白い息が出ていた。
「おばさん、俺、金田屋食堂のラーメンもう一度食べたいなあ」
 私も白い息を吐きながら、こたえた。
「そうかい。それじゃ美味いラーメンつくるから」
 昨夜の吹雪きが嘘のように晴れ渡り、山の向こうには、夕張岳がくっきりと見えている。
紺碧の空に、いつまでも夢見地区を見守るかのように夕張岳は聳え立っていた。
 どんなに時代が変わっても、夢見地区がダムの底に沈んでも、夕張岳がある限り、ここで生まれた者たちの故郷は消えはしない。
「まだ、帰ってくる場所が、ここにはある」
 私は、夕張岳がそう語りかけているような気がした。
 朝食の後、私は秀夫の仏壇の前に座り、手を合わせていた。
「秀夫、俺、完走するから。苦しくても、もう、途中で逃げたりしない」
 私は、秀夫の写真を見つめながら心に誓った。
 金田屋食堂を後にするとき
「おばさん、急に泊めてもらったりして迷惑かけたから、いくらかでも勘定払わせてもらいたいんだけど」と私は言った。
「秀夫の友達からは金取れないよ。その代わり、隆君、これがあんたの故郷の味なんだから、いつまでも、覚えておいてよ」
「おばさん、ありがとう。俺いつまでも金田屋食堂のラーメンの味も、おばさんのことも忘れないから。それから、俺、秀夫の分もうんと長生きして、頑張るから。だから、おばさんも元気でいてよ」
 私の目からは涙が流れていた。
「うん、そうだね。秀夫の分も生きてやってね」おばさんも泣いていた。

 バス停では、夕鉄バスがエンジンをかけ待機していた。
 私は、またこのバス停から夢見地区に別れを告げる。でも、この別れは18のときのものとは、違っていた。それは、ここを逃げ出すのではなく、夢見地区を受け入れることができた新たな旅立ちであった。
 夢見地区金田屋食堂、そこで私はやっと故郷と向かい合うことができた。そして、15で亡くなった友人に、これからの人生を完走することを誓うことができた。
 たった一晩のことではあったが、吹雪の夜、私の魂は浄化された。

黄色い旗

 6月の晴れた日、佳奈美と私は、夢見地区が一望できる神社の上に立っていた。
 あの吹雪の夜にはまだあった、金田屋食堂も門間商店も既になく、夢見地区は、電柱が所々にまだ残る原野の広がりになっていた。
 カッコウ、ウグイスたちのさえずりの声が、それらの原野の上に響き渡っていた。
「隆は、こんなに山に囲まれたところで、生まれたのね」
「昔は、2万人もの人が住んでいて、住宅もびっしり建っていたんだけど...。こう原野ばかりだと、佳奈美には想像もつかないだろうな」
 私はそう言いながら、ここに住んだ者にしか、昔の姿は見えないだろうと思っていた。
「あっ、あれが夕張岳ね。まるで夢見地区全体を見渡しているような山なのね」
 佳奈美は、夕張岳を仰ぎながら私に言った。
 あの吹雪の夜を境に、私の人生は変わった。時間に追われる日々の中でも、自分を見つめることができるようになり、道端の草木の変化も見えるようになっていた。
 そして、何よりも私にとって大切な存在であった、佳奈美を失わずにすんだ。佳奈美と私は、来月式を挙げることになっていた。
「それじゃ、旗出そうか」
 私は、カメラバックから黄色い旗を取り出した。そして、マジックを取ると佳奈美に渡した。
「佳奈から書けよ」
「じゃ、最初に書かせてもらうわ」
 佳奈美は(夢見地区さん、夕張岳さんはじめまして。そして、これからもよろしく)と書いた。
「はい、次は隆」
 私は(秀夫、夢見地区そして夕張岳よ、2人を見守ってください。ここで生まれたこと、誇りに思っています)とに書き込んだ。
 その後、木々の間に張られているロープの空いている所に、私たちの旗を結びつけた。
「これで、よし...」
 私たちは、風に揺れる黄色い旗を暖かな気持ちで見ていた。
 その後、私は佳奈美を金田屋食堂の跡地へ連れて行った。
「ここに、金田屋食堂があったのね。わたしも、おばさんのラーメン食べてみたかったな...」
 この春に取壊したばかりなのに、金田屋食堂の跡には、タンポポをはじめ野の花たちが咲いていた。
 私は、それらの花を摘むと、まだ剥き出しになっていた基礎の上に置いた。そして、膝ま付き手を合わせた。佳奈美も私のそばに来て合掌した。
「秀夫さんね」
「うん...」
 私は、心の中で秀夫に話しかけた。
「秀夫、俺の嫁さん連れてきたよ。今度夢の中で、シュ−パロ湖3人で一緒に走ろうな。
俺、最後まで佳奈美と走るから。本当に、ありがとう...」
 立ち上がり耳を澄ますと、夢見地区の声が聞こえてきた。鳥たちのさえずり、セミの音、蛙の合唱、そして風のざわめき。
 ここで暮らした人々が去っても、夢見地区は沢山の生き物たちに囲まれていた。
 私は、そのことに気づくと、急に嬉しくなってきた。そして、もう一度周りを見渡すと、前には夕張岳があり、後ろには神社の黄色い旗たちが、風に揺れていた。
 人々の生活の痕跡が消え原野に帰っても、夢見地区は独りではなかった。昔と変わらず夕張岳に見守られ、沢山の生き物たちに囲まれ、神社の黄色い旗からは子供達のざわめきが聞こえてくる。
 そして、金田屋食堂も人々の思い出の中で語り継がれることだろう。その昔、夕張の夢見地区という炭坑町に、出会いと別れの舞台となった金田屋という食堂があったと...。

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