星空を見に 

               飯田 雅人
                       平成11年8月5日(木)


 8月5日の夜,鹿島小学校グランドで我が家の『星空の観察会』をおこないました。
 晴れた日に,そして月明かりのない晩に大夕張の星空を見てみたかったのです。
 この日思い切っていくことにしました。

 午後6時半自宅を家族を連れて出発。車中で夕食をすませ,午後8時半に鹿島小グラウンドに着きました。

 ネオン輝く札幌の街を出て,街路灯のオレンジ色が夜空に映える長沼の町を過ぎると,由仁の町に入った辺りから,住宅の白い蛍光灯の灯りだけがポツリポツリと見えるようになってきました。
 そんな光景をみているといろいろなことが思い出されます。
 今から20数年前,三菱バスや夕鉄バスで札幌―大夕張間を行き来していた中学生の頃。都会の灯りにあこがれを感じ始め,大夕張の闇にさびしさを感じ始めていた当時,この灯りの変化とともにさびしさを募らせていたことを思い出し,また,そう言えば夜に大夕張に向かうのは,父亡くなるの一報で,夜中の1時過ぎに伯父の車で大夕張に向かった時以来かなあ,などと,ついつい感傷に浸ったりしていました。
 さて,車は真っ暗な二股峠を過ぎ夕張市内へ。居酒屋やバーのまばらにネオンが光る若菜,清水沢を抜け,左へのカーブを曲がるといよいよ大夕張へ。街灯もなくなりひたすら暗い道を走ります。
 途中,南部の家々の灯りにほっとするまもなく,大夕張ダムの管理事務所を過ぎるあたりからは,右手にシューパロ湖が深い闇をつくり,左手には,鬱蒼と茂る緑の木々がヘッドライトに照らし出され,さびしさを募らせます。
「夜っていうのは,暗いもんだ。これがあたりまえなんだ」と,家族に言いつつ,そんな自分もいかに都会の明るさに慣れ切っているかを感じていました。

 何も目印のなくなった大夕張にいつの間にか入り,大夕張駅前の歩道橋の手前で大きくハンドルを左に切ります。ヘッドライトに照らしだされて,閉校以来雑草の背丈が伸びて小さくなったように見える校門が目に飛込んできました。
 一気に坂をかけあがりグランドに入りました。車のエンジンを切り,空を見上げてみると,

「うわあー,すごい。すごい星だ」

 娘も妻も声をあげていました。思っていた通り,いえ,思った以上に素晴らし星空でした。
 頭の上にはべガ,アルタイル,デネブの夏の大三角形。織姫と彦星の間には,薄い雲の流れのようにぼんやりと白く光る天の川がはっきりわかります。北の方角には,子供の頃,礦業所の上の空にいつも見ていた北斗七星と北極星。雲もほとんどなく見事な星・・・星・・・星・・・です。
 星の光で夜空が明るくなるなんてこと,すっかり忘れてしまっていました。

 グランドには,誰もいません。歩道橋あたりの街灯が2つばかり,わずかに白い光を発しているだけで,あとは,深い闇です。
 目の前に鹿島小学校の校舎が大きく黒い影を描き,黒い影はグラウンドを囲んで,立ち並ぶ木立に続いていました。そして,その黒い影は山神社へと続き,背後の山々が漆黒の稜線をはっきりと描いていました。
 その上に無数の輝く星たち。
 星明りで青味がかった清んだ夜の空が,すっぽりと黒い闇をおおっていました。

 気温22℃。風が柔らかく体にまきついてきます。
 緑ヶ丘のかつて教会のあった方からは沢の流れのサーという音が響いてきます。よく聞くと,緑町の向こうからも,シューパロ川の流れの音が,やや大きくしかし静かに響いています。
そして,周囲の草原からは夏の夜らしく鈴虫やキリギリスなどの虫たちの声が途切れることなく聞こえ,富士見町,緑町のあたりからは蛙がないたりなきやんだりし夜の世界に強弱をつけています。
 時折,小学校近くの木から小鳥のさえずりが聞こえていました。

「あっ!流れ星だ!」
 娘の声に北の空を仰ぐと北斗七星の辺りを,強い光を発した流れ星が北の地平線に向かって,落ちていきました。
「願い事をしたかい」
と娘に聞くと,
「ううん,そんなひまなかった」
ほんの一瞬のきらめきでした。
 その後も,丸い空を横に長く光って落ちて行く流れ星や,強い光で一瞬のきらめきと同時にあっというまもなく消える流れ星などいくつも見られました。そんな流星のショーに願い事をかけることも忘れ,その見事さに見入っていました。

 自分が見上げて育った故郷の空で星を見るのはまた格別でした。時間があっという間にたちました。そして,午後9時30分頃,闇の静けさのやぶるように突然聞こえてきた国道を走る自動車の音をきっかけに大夕張を後にしました。
 2時間弱で,自宅のある札幌に戻りました。 たった2時間で,無人の地から北海道随一の大都会へ,満天の星空から,ほとんど星の見えないよどんだ空へ移動できることがなんだか不思議に思われます。でも,この大都会へのこの距離的な近さが,水源や発電の為のダムが建設,水没ということにつながったのでしょうから,なんとも皮肉なものです。