(昭和37〜38年頃 / 写真・文とも 花田勝則さん提供 ) @@@画像をクリックすると拡大表示されます@@@
セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。
小学校3〜4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。
八百五十へいく時は、みんなで家から小さなローソク一本を持ち寄り、先生が教室のストーブの上で、缶詰の空き缶にそれを入れ、溶かして大きなローソクをつくり、八百五十のヒュッテで、夜はそれをあかりとしたものでした。
昭和37年〜38年頃だったでしょうか。
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